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なぜ「カルテ」を書くのか? 医学生~初期研修向け

  • 2021年9月26日
  • 2021年9月26日
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今回の記事は「医学生~初期研修の方」向けの内容になります。自分は確か5年生のときにはじめて学生実習で病棟に出て「カルテ」というものに触れたのですが、カルテに対しての最初の印象は「えっこんなに毎日沢山カルテって書くの?」というものでした。患者さんを診ているよりもサマリーやカルテを書いている時間の方が長いのではないか・・・とも思い、「えっこんなに書いて意味ある・・・?」と正直最初は思いました。その後色々経験を積むにつれて「カルテ」また「サマリー」というものの意義に関して自分なりに思うことが出てきたので書かせていただきます(タイトルは「カルテ」に限定していますが、本記事は「サマリー」に関しても含みます)。もし「えっなんでこんなに書かないといけないの?」という疑問を持っていらっしゃる医学生(~初期研修)の方の参考になりましたら幸いです。

ポイント1:医療は予定調和的に進む訳ではない

これもトラブルを数多く経験することで分かってくる側面が大きいかもしれませんが、「あっあの時はこれどうだったのかな・・・? カルテ見てみようっと! あっ・・・何も書いていない・・・。分からん・・・。」という状況を多く経験します。予想外のトラブルが顕在化した際に「えっ実はこれは最初からあったの・・・?」という疑問は必ず生じます。例えば入院10日目くらいに意識障害が問題となり、じゃあいつから意識が悪くなりはじめた片鱗があったのかをカルテをさかのぼっても意識状態に関しての記載がないと「えっじゃあ一体いつから意識が悪いの・・・?」となってしまいます。カルテに記載がないと「その所見は最初からあったのかどうか分からず、治療などの経過で生じたものなのかどうかの判断がつかない」という問題が生じます。

このように医療は予定調和的に進む訳では全くありません。医療は基本予想外のことが起こり(少しでも予想外のことが起こらないように努力しているのですが・・・・)その都度対応するということが求められるため、予定調和的に進まないことを前提としたプランニングが事前に必要となります。その上でカルテはとても重要です。

ポイント2:自分が病状・検査結果を把握しやすくなる

カルテはチェックリストの様な役割を担います。「えーっとバイタルサインは〇〇で、食事は△△くらい食べていて、デバイスは静脈ルートが1本で、えっ尿道カテーテルって今必要・・・?あっ点滴はこれこれかー・・・あっ明日の点滴箋記載したっけ?」といった具合に一つ一つチェックするべき項目を確認することで漏れが少なくなります。カルテにこれらの情報をアウトプットすることで自分自身が情報を整理し把握しやすくなるというメリットがあります。これは十分に手間暇をかけても価値がある点だと思います。

私は医師5, 6年目の時にチームリーダーをしていたのでチェックと指示、指導を中心にしており正直毎日細かいところまでカルテを書く作業をしていなかったのですが、やはり自分が主治医で主体的に毎日カルテを書いていた時の方が患者さんの情報がきちんと細かく把握できていたと感じます。

ポイント3:指導されやすくなる

これは自分も指導する側になって初めて分かったことですが(自分もまだ指導される側なので偉そうな表現で恐縮ですが・・・)、カルテがきちんと書かれていないとめちゃくちゃ指導がしづらいです。特に病歴や鑑別診断はカルテに記載がないと指導のしようがありません。

最初のうちはとにかく鑑別を挙げるのが大変だと思います。とりあえず教科書に書いてある鑑別を羅列的に挙げて、場違いな鑑別を披露してしまうこともあるかもしれません(私もよく突拍子もない鑑別を挙げて上級医を困らせてしまいました・・・)。昔研修医の先生が救急外来で腹痛の患者さんのカルテで「心窩部痛を呈しており、胆嚢炎は否定的」と記載がありました。このように記載してくれると思考回路がわかるので指導しやすいのです。「胆嚢炎は最初むしろ心窩部痛で、右季肋部痛はそのあとになることがあるよ。心窩部痛で胆嚢炎は全く否定できないよ」とそこで初めて指導が入って学びへとつながります。もしここでカルテに何も書いてなかったらツッコミ指導は入らないのでずっと間違った知識を抱え続けることになってしまうかもしれません。

あとカルテで初めて医学用語の使い方が間違っていることに気が付く場合もあります。例えば私も学生の時に自分のカルテ記載が間違っていて「呼吸苦という表現は使わないよ、呼吸困難だよ」と指導を受けて「あっそうだったんだ」と初めて学んだ経験があります。医学用語の間違いは私もまだまだ多いのですが・・・早いうちに出来るだけ修正した方が良いです。学会発表や論文で苦労しますし、あまりに用語が間違っているとそもそも医師として他の医師から信頼してもらえない結果になってしまいます・・・(本ホームページでもよく間違いをご指摘頂いており、本当に皆様ご指導ありがとうございます)。このような点でカルテは間違えたときの恥ずかしさはありが、その分指導も受けやすく修正されやすいので良い教育媒体になると思います。

ポイント4:患者さんのことが記憶に残る

患者さんの病状や検査データを何も見ずにスラスラ話すことが出来る医師のことを医学生のころは「この人はすごーく記憶力が良いのだな、すごい!」と思っていましたが、それは記憶力の問題ではないということが後々わかりました(もちろん記憶力も優れているのかもしれませんが・・・)。何度もその患者さんに関しての議論をしていたり、過去の別の患者さんの経験と照らし合わせて比較検証しているうちに自然とデータが頭の中に入ってスラスラいえるのです。亀の甲より年の劫ではないですが、やはりここは経験と知識が力を発揮するところです。ではどうやってその経験や知識を蓄えていくかというとそれは自分でカルテ上に一度情報をアウトプットするしかありません。ただ自分の頭の中で情報を抱えていても一向にその情報は自分の中に蓄積されていきません。

ポイント5:自分ひとりで医療をしている訳ではない

これも医学生のうちはなかなか実感しづらい点かもしれませんが、医療は完全に共同作業です。自分の頭の中で考えていることをまわりの医療者が自然に汲み取ってくれる訳では全くありません。医者が主体的に方針を周囲と共有することではじめてまわりは自分に協力してくれます(うーん自分で書いていながら耳が痛い・・・自分は出来ているのか・・・?)。その上で文字を媒体に人に伝えるのが最も正確で確実です。

またもし患者さんに何かトラブルが発生して、主治医の自分がたまたま現場にいない場合、他の医者が対応してくださる状況があるかもしれません。その際毎回自分の携帯電話が夜中でも鳴って病状を説明することは全く現実的ではありません。カルテに病状をある程度記載してあれば別のDrがその患者さんを診療する際にもカルテからの情報を元に応急処置が可能です。このようにカルテはひいては自分の負担を減らすことにもつながります。

まとめますと、「カルテ」に関してついつい「書かされている」という義務感を最初のうちは感じてしまうかもしれませんが、上記の点を踏まえると「誰かのためにカルテを書いている」訳ではなく、「結局カルテはほとんど自分のために書いているんだ」という意識に徐々に変わってくると思います。

ここまででカルテを書くことのメリットに関しては十分説明させていただいたと思います。ここから先はカルテを書きたくないときによく生じる言い訳をつぶしていきます。ここからはやや「毒舌」になりますのでご容赦ください。

言い訳1:私日本語能力が低いから書けないんだよねー

いきなり丁寧な言葉でキツイことを申し上げますが「自分には文章力や日本語能力がないからサマリーをあまりうまく書けないんだ・・・」と言い訳をする方がいらっしゃいますが、これは完全に間違っています。日本語能力や文章力の問題ではありません。最低限度の論理力と医学用語を適切に使用することが出来ればサマリーは日本語能力ではなく純粋に臨床能力を反映します(特に内科の領域では)。サマリー上で気の利いた比喩を使ったり、形而上学的な議論を展開する必要は全くありません。

これも自分が指導する側になってから初めて分かったのですが(というほど私もまだ臨床能力がある訳ではないのですが・・・)、カルテのアセスメントや入院時サマリーを見ると大体「あっ分かっていないな・・・」「あっ病歴のポイントがつかめていないな・・・」というのはバレてしまいます。これは日本語の助詞や接続詞の上手い下手の問題ではなく、完全に「疾患に関する理解度」や「検査結果の解釈」といった臨床的理解度の問題です。日本語に罪はありません。

大動脈解離のサマリーにentryはどこか?Stanford何型か?偽腔開存型か?閉塞型か?など一切記載されていなかったらこれはダメですよね?心不全患者さんの増悪が入院したとして、CS何か?や原疾患は何か?今回の増悪因子は何か?などが記載されていなかったらダメですよね?これは純粋に疾患の管理において必要な知識の問題です。

私がまだ医学生のころ、循環器内科をローテートしているときに循環器内科の有名な教授がよく「サマリーは書いた人の臨床能力を最もよく反映する」と仰っていました。当時学生の私は「えー本当かなー・・・たかが文章だし・・・」と思っていましたが、その言葉の正しさを学年を経るごとに痛感するようになっています。極論を申し上げると「カルテやサマリーに書けないことは理解できていない」と思った方が良いと思います。「頭ではわかっているんだけどな・・・」なんて言い訳は通じません(論文もそうですよね)。

言い訳2:私サマリーの書き方を習っていないからなー

私は「おれ大学病院で研修受けていないからサマリーちゃんと書けないんだよねー」という言い訳が大嫌いです。大学病院で研修したか、市中病院で研修したかどうかはサマリーが書ける、書けないことと何ら関係はありません。大学病院で研修を受けていてもサマリーが書けない人はいくらでもいるし、逆もまたしかりです。たまに「大学病院で研修を受けるメリットとしてサマリーの書き方が学べる」ということをおっしゃる方がいますが、大変申し訳ないのですが私にはそのメリットは理解ができません。疾患に関する知識や臨床的な論理性が十分にあればサマリーは必然的にクオリティーが上がりますし、知識が不足していればクオリティーが下がるそれだけの話です。それ以上でもそれ以下でもありません。サマリーの「作法」や「流儀」にうるさい人もいますが、正直それはそこまで重要ではなく、きちんと疾患知識や検査結果の解釈を論理的にまとめられるかだけの問題です。そこに「お作法」や「流儀」みたいな堅苦しいものを持ち込むべきではないと個人的には思います。

言い訳3:忙しいからカルテが書けないんだよねー

これは私が研修医1年目の時に2年目の先輩から指導された内容で、「忙しいからカルテが書けない」のではなく、「忙しいからカルテを書く」のです。一見矛盾しているように感じるかもしれませんが解説します。日常業務があまりに忙しくなると「この患者さんのカルテを開くのは次一体いつになるのだろう・・・?指示を出すのはいつだろう?」と途方にくれることがあると思います。そのように極めて忙しい場合、カルテを開いたときに書けることを書けるだけ書いておかないと次カルテを開いたときには前に書こうと思っていた内容は確実に忘れています。綺麗なカルテを作るために「後でまとめて書こう」という思考は基本的に捨てて、その場で書ける情報を書きだすというプロセスを積んだ方が忙しい臨床現場では結果良い循環をもたらすと思います。

言い訳4:私なんかが書いてもカルテを汚してしまうだけだし

これも特に初期に感じる点と思います。「もう上級医の先生が既に良いカルテを書いているし、自分が書いても別に医療に寄与するところはないんじゃないか・・・?」と思ってしまうものです。私もよくそう思っていました。特に「自分のしょぼい知識でなんか適応なことを書いて、カルテを汚してしまうのは気が引けるな・・・」という感覚が常にありました。でもこれは先ほど申し上げた点とつながるのですが、上級医は「カルテが書かれていないとどこまで本人が理解していて、どこから先は理解していないのか?が分かりにくい」ため指導がしにくくなります。

最初のうちにperfectなカルテが書けないことは当たり前です。またカルテの形式に慣れず少しの分量でもかなり負担に感じてしまうと思います(私自身もそうでした。患者さんの持参薬の中身を書き写すだけでとんでもない時間がかかってしまったことを思い出します・・・)。ただこれらのプロセスを経て、徐々に慣れていき書けるようになっていくので最初はしんどいし恥ずかしい感覚があるかもしれませんが、ある種開き直ってどんどん書いていけると良いと思います。

とはいってももちろん患者さんを診療して初めてカルテが書けるのであって、カルテが先にある訳ではないことを最後に強調しておきます。