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「沈黙」 著:村上春樹

村上春樹さんの代表的な作品はいずれも長編小説ですが、素晴らしい短編小説作品を沢山だされています。その中でも極めて異質なのがこの「沈黙」という短編小説です。私がこの作品を読んだのは「レキシントンの幽霊」(出版:文春文庫)という短編小説集の中に収めされていたものです。

本の趣味というのはあまりにも人によって違うため、人に本を勧めることに関していつも躊躇いを感じるのですが、この作品は現代人の誰もが一度は読むべきなのではないかと個人的に思います(特に若い時期に)。もちろん筆者の真意はわかりませんが、私はおそらく何かしらの信念のようなものをこの作品を通じて世間に伝えようとしているメッセージを感じざるを得ません。何かを人に伝える際に論理的に手短な言葉で説明するのではなく、一度物語の中にメッセージを閉じ込め、それを読者が引き出そうとする過程に深い意味があることを強く教えてくれる作品です。こういったことはTwitterのような短い歯切れのよい言葉だけで戦う土壌とは一線を画しています。

内容は大沢さんという人物自身が中学2年生のときに人を殴ってしまった話を僕が聞くところからはじまります。その経緯の壮絶な体験がどうその後の大沢さんの人生にどう影響を与えたか?というものが本書のテーマです。この作品は読んでいて楽しいというタイプの文章では全くなく極めてシリアスなものでやや読んでいて辛く感じる部分があるかしれません。

本書は初出が1991年1月と今から30年も前のことですが、個人的には現在のSNSを通じてのバッシングや煽動、自己内省に乏しく他人の意見に簡単におどらされて危険な言葉を吐き捨て人を傷つけるような態度が萬栄している現代社会へのメッセージ性を強く感じます。ここから先は本文からの引用があるので本をまだ読んでおらず「これから読もうかな」と思われる方はこの先を読まない方が良いかもしれません。

以下「レキシントンの幽霊」文春文庫 P84より引用(大沢さんの語り部分)

「でも僕が本当に怖いと思うのは、青木のような人間の言いぶんを無批判に受け入れて、そのまま信じてしまう連中です。自分では何も生み出さず、何も理解していないくせに、口当りの良い、受け入れやすい他人の意見に踊らされて集団で行動する連中です。彼らは自分が何か間違ったことをしているんじゃないかなんて、これっぽっちも、ちらっとでも考えたりはしないんです。自分が誰かを無意味に、決定的に傷つけているかもしれないなんていうことに思い当たりもしないような連中です。彼らはそういう自分たちの行動がどんな結果をもたらそうと、何の責任も取りやしないんです。本当に怖いのはそういう連中です。そして僕が真夜中に夢をみるのもそういう連中の姿なんです。夢の中には沈黙しかないんです。そして夢の中に出てくる人々は顔というものを持たないんです。沈黙が冷たい水みたいになにもかもにどんどんしみこんでいくんです。そして沈黙の中でなにもかもがどろどろに溶けていくんです。そしてそんな中で僕が溶けていきながらどれだけ叫んでも、誰も聞いてはくれないんです。」

多分この文章を読んでほとんどの人はなにかしら思うところ、感じるところがあると思います。

最後は余談です。私はこの文章を読んだ時に、自己内省なく人を傷つけるような人々はどちらかというと暴力的で騒がしいイメージがあるのでなぜ「沈黙」という言葉を大沢さんが選んだのだろう?と考えました。私はこの点がこの作品の鍵になると思います。

設問1:この文章中でなぜ大沢さんは「沈黙」という言葉を選んだのか?考察し述べよ。

私が学校で国語の先生だったら(そんな国語力は全くないですが)このような問いを設定すると思います。もちろん決まった答えはないのだけれど、みなさんはどう考えますか?