タイトルと表紙のデザインが素敵なので勢いで購入してみましたが、大正解でした。
海中の世界が舞台になっており、そこの中学校でいじめにあっている”たこ”の「タコジロー」と、タコジローが学校が嫌になってサボってしまい時に出会ったヤドカリの「おじさん」との対話を通じて「書く」ことについて学んでいく本です。著者である古賀さんの有名な「嫌われる勇気」も対話を通じて理解を深めていくスタイルで本書と似ています。
絵を織り交ぜながら話がすすんでいき、語り口は非常に平易で、やさしさと温かさに満ちています。しかし扱っている内容は本質的であり「あーそういうことか!」という気づきがあちこちに散りばめられています。自分が中学生か高校生のころに読みたかったなーと思わさせられる示唆に富んだ内容で、子供から大人まで勉強になる本です。また自分の子供が大きくなったら真っ先に読ませたいと思う本でもあります。正直「書く」ということに関してここまで分かりやすく、かつ本質的なテーマを扱う本はないのではないか?と思うほど素晴らしい内容です。
私は子どものころから「事前に何を書くかをよく考えてから書き始めましょう!」という学校での国語教育が大嫌いでした。「書いている過程で「はっ!」と良いアイデアを思いつくことがあるのに、なんで最初から書くことをびしっときめなきゃいけないんだ。そんな予定調和的に書いた文章なんて書いていても読んでいてもつまらない。」と子供なりに反抗心をずっと持ち続けていました。こうした私の子供のころからの疑問にも本書は鮮やかに解答してくれます。
「たとえば、16x21x43という問題があったとする。問題自体はなんてことのない掛け算だ。でも、暗算で解くには難しいよね?」
「うん、むずかしい」
「一方、筆算すれば、つまり手で書きながら解いていけば、簡単に答えを出せるはずだ」
「・・・・・・たぶん」
「じつは数学じゃない問題を考えるときも、これと同じなんだ。たとえばタコジローくんが、友だちとケンカしたとする。どんなふうに仲直りするか、悩んでいたとする。このとき、じっと腕組みしたまま考えるのは、むずかしい問題を暗算で解こうとしているようなものだ。頭はこんがらがるし、なかなか答えにたどり着けない。そうじゃなくって、自分の気持ちをひとつずつ紙に書いていけばいいんだよ。筆算するようにね」
「筆算するように・・・・・・文章を書く?なにか特別な書きかたがあるの?」
「いや、ふつうに書けばいいのさ。筆算するとき、つまり計算式を解くとき、ぼくたちは答えもなにもわからないまま書き始めるよね?それと同じで、まずは書いてみる。書きながら考えていく。そうすればいつか、自分だけの答えにたどり着くんだ。」 P59-60「ああ。相手を言い負かしてやりたい、っていうかさ。そんなふうに『勝つこと」が目的になると、相手のことばを否定するばかりで、おしゃべりが発展していかないんだ。自分の非を認めようとせず、よくわからない理屈を並べたり、記憶をねじ曲げたり、嘘をついたりしてね。場合によっては、ことばの暴力が飛び出すこともある。自分としては、一発逆転のすごいスマッシュを打ち込んでいるつもりかもしれないけどさ」 P141
論破という文化(?)が流行っていますが、これは全く建設的ではなく不毛な行為です。勝ち負けを争うのはただの言葉のスポーツです。医者の中でもこうした言葉のスポーツが好きな人が一定数(結構沢山)います・・・。この点に関しては東浩紀さんの書籍「訂正する力」でも議論されているところなので興味がある方は是非一読をおすすめします(親書で非常に読みやすい内容です)。
「たとえばいま、ぼくたちはアカサンゴの森を歩いている。もしかしたらタコジローくんは、歩くことに精いっぱいで、ひとうひとつのアカサンゴを、しっかり観察できていないのかもしれない。おじさんだって、おしゃべりに夢中になるとアカサンゴのことを『障害物』くらいにしか意識しなくなる。でもさ、ほんとうはアカサンゴの色とか、枝ぶりとか、頬を抜ける潮のあたたかさとか、降り注ぐ太陽の光とか、いろんなものを見たり感じたりしているはずなんだ。自分で意識していないてもね」
「うん」
「でも、この森のことを『書こう』と思った瞬間、カメラはスローモーションに切り替わる。ほら、一分でもいいから『書こう』と思って歩いてごらん」 P186
私は楽器の音色や奏者の表現力に関してただ聴くだけだとなんとなく渾然一体としておりよく理解できなかったのですが、自分自身がオーケストラ部で楽器を演奏するようになり大学生ごろから音の聴こえ方がガラリと変わりました。実際に自分が演奏する側になってみると、どう演奏するのだろうという視点から音を聴くので全く世界が変わります。
おそらく「表現する」という行為全般においてこの原則は成立すると思います。絵を描く視点から絵を鑑賞する、文章を書く視点から文章を読む、音楽を演奏する視点から音楽を聴く、こうした視座の変換が世の中をより解像度高く観察することにつながるのだと感じます。私自身もこのブログで記事を書き続ける過程で新たに見えてきたもの(気づいたこと)は沢山あります。
「ぼくたちはたくさんのものを見て、聞いて、感じている。けれどそのほとんどは、意識のなかからすり抜けていく。そういう『すり抜けていく感情』をキャッチする網が、ことばなんだ」 P188
上記の解像度高く観察する、つまり感覚の肌理を細かくする作業こそが「感性を磨く」ことなのだと思います。短絡的で乱暴な言葉に触れ続けていくと容易に損なわれます。その代表がX(旧Twitter)です。
さていろいろ話がそれたところもありましたが。本書を読むと「ああ、文章を書きたい!」という思いに駆られます。こうした人の欲望をくすぐるような内容を書けるところが筆者の特筆すべき才能なのだと思います。2024年今のところ私のベスト本で、もしよければ是非お読みになってください!
*本の構成上電子書籍(Kindle)で読むのにはおそらく適していないので、紙での購入が良いと思います。
PS 桜が段々と咲いてきました 2024/4/5