1:記憶の分類
記憶に関する言葉は沢山あり混乱しやすいですが、何を基準に分類されているかを把握すると理解しやすくなります。具体的には記憶内容による分類、時間軸での分類、発症時点からの分類を以下に載せます。
■記憶内容による分類
何を記憶しているか?(つまり記憶内容)により分類します。陳述記憶は言葉で表現できる記憶で、物事の意味を表す意味記憶と、昨日○○をしたというようなエピソード記憶に分類されます。非陳述記憶は自転車の乗り方など言葉で表現できない記憶を表しています。 実臨床で一般的に記憶障害というと「エピソード記憶(episodic memory)」の障害を意味する場合が多いです。
1:陳述記憶 declarative memory
・意味記憶 (semantic memory):大脳皮質(連合野)・側頭葉先端部
・エピソード記憶 (episodic memory):海馬を中心とした辺縁系(Papetz回路・Yakovlev回路)、前脳基底部
2:非陳述記憶 non-declarative memory
・手続き記憶(技能) (procedural memory):基底核、小脳
■時間軸での記憶の分類
時間軸から分類すると即時記憶、近時記憶、遠隔記憶の3つに分類されます(短期記憶、長期記憶は心理学の用語でありここでは使用しません)。
1:即時記憶 immediate memory
知覚されてから連合野での記憶過程へ移行する段階のことで、対象に対して注意を向けていることが必要です。時間としては1分程度であり、注意が他に向けられる(干渉)と記憶対象が保持されなくなることが特徴で、厳密には記憶ではなく注意の問題です。
診察方法:数字復唱や逆唱などで調べます。
2:近時記憶 recent memory
即時記憶は一度注意が他に向けられると保持できなくなりますが、一旦注意が他に向けられた後でも、それが再生されて記憶対象が保持されている状態を近時記憶と表現します。厳密に何分以上、何時間以内だと近時記憶という時間による定義がある訳ではありません。近時記憶の障害は「前向性健忘」と対応します。
診察方法:3語(例えば桜・ねこ・電車)を覚えてもらい、他の診察後に再度確認(数分以上経過してから答えてもらうことが必要)
3:遠隔記憶 remote memory
保持の不安定な状態から安定した(簡単には消去されない)貯蔵の状態にある記憶を想起する状態を指します。遠隔記憶の障害は「逆向性健忘」と対応します。
診察方法:個人歴、家庭歴、職業歴*「昨日の夕食は?」は記憶の対象に対する関心や興味の影響があるため適切な質問ではない
■発症時点を起点(脳が損傷された時点)で分類
1:逆向性健忘 (retrograde amnesia)
原因発症より過去の記憶が障害される状態で、遠隔記憶の障害と対応します。「ある時からそれより過去のことを忘れてしまった」状態で、この状態はイメージしやすいと思います。一般的に逆向性健忘ではtemporal gradient(時間勾配:昔のものほど思い出しやすい)を認め、ある一定の期間の記憶が欠落しています(過去の出来事を生まれたときから全て忘れてしまっている訳ではありません)。健忘期間が短くなることは病態の回復を示唆し、長くなることは病態の悪化を示唆します。
障害部位:特定できていません。
診察方法:1個人歴(卒業、結婚)、2生活歴(旅行)3、職業歴などを尋ねる方法があります。
2:前向性健忘 (anterograde amnesia)
原因発症時点から病態が持続しているあいだ記憶を積み重ねていくことが出来ない状態で、近時記憶障害と対応します。あくまで発症時からの時間の前後関係であり、現在からの時間の前後関係ではない点に注意が必要です(現在からみれば全て過去の出来事なので当たり前ですが)。
前向性健忘は一言で表現すると「ある時から記憶を積み重ねられなくなった」状態で、なかなかイメージしづらいと思います(私は理解するのに時間がかかりました・・・)。重度であると記憶が全く蓄積されていかないため、患者は他人に「ここはどこ?」「今日は何日?」「今なんで私ここにいるの?」と尋ねたことを何度も繰り返し尋ねる傾向があります。 逆向性では過去の記憶に基づいて日常生活を過ごすことが出来ますが、前向性では自分がしようと思ったことをその都度忘れてしまうため日常生活に支障をきたす場合(買い物に出かけようと思って出かけても、数分後に何で出かけようと思ったか目的を忘れてしまい途方に暮れる など)があります。
前向性健忘を理解するのに最も優れている題材はクリストファー・ノーラン監督映画「メメント(MEMENTO)」です。妻が何者かに殺害されたことをきっかけに記憶が10分しか持続しくなってしまった主人公(つまり近時記憶障害の前向性健忘)が、記憶をリセットされながらも、ヒントを自身の体に入れ墨することで記憶をたどり犯人を捜していくストーリーです。前向性健忘がどういう状態かを非常にわかりやすく表現されています。映画としてもとても面白いので是非一度観てみてください。
そもそもなぜ病気の発症時点を基準として記憶を分類必要があるのでしょうか? 現在を基準にして考えると健忘期間は全て過去とひとくくりに分類されてしまい、病気と健忘期間の時間的対応関係がわかりません(いつから病気を発症して、健忘期間はそれよりも前のことなのか?後のことなのか?)。 病気の発症時を基準とすることで病気と健忘期間の時間的関係が明確になるため病気の発症時から分類し前向性健忘、逆向性健忘と表現しています。
ちなみに記憶障害では多くの場合前向性健忘と逆向性健忘が共存します(*前向性健忘単独の場合は多くあり、逆向性健忘単独はまれ)。
2:記憶の解剖経路・解剖
一般的に記憶というと「エピソード記憶」が該当し、記憶の経路としては、
1:Papetzの回路 (以下の2つの経路が内側と外側でループを形成しているイメージ)
・海馬体→(脳弓)→乳頭体
・乳頭体→視床前核→(内包前脚)→帯状回→(帯状束)→側頭葉内嗅皮質→(perforant pathway)→海馬体
2:Yakovlevの回路
・側頭葉内嗅皮質→偏桃体→視床背内側核→前頭眼窩皮質→(鉤状束)→側頭葉内嗅皮質
3:前脳基底部からの投射経路
・前脳基底部→(脳弓)→海馬
の3つが挙げられます。この経路に関して以下にまとめます。
上記で記憶に関係する神経経路(回路)に関して解説しました。以下では記憶に関連する解剖構造とそれぞれの障害による症状、原因に関して解説します。
■側頭葉内側部(海馬とその周囲構造)
エピソード記憶障害と対応している(意味記憶、非陳述記憶は保たれる) もっとも代表的な解剖構造です。
臨床的な特徴
・前向性健忘:海馬周囲の構造へ波及すると強くなる
・逆行性健忘:数年前まで障害され、比較的長いことが多い
*両側性障害の方が片側性障害よりも症状が強く出る
・作話:通常認められない
原因:脳炎(ヘルペス、自己免疫性)、一過性全健忘(TGA: transient global amnesia)、TEA(transient epileptic amnesia)、脳梗塞、低血糖、低酸素脳症、アルツハイマー型認知症
■視床
・視床前核、乳頭体視床路(灰白隆起動脈):Papez回路
・視床背内側核、下視床脚(傍正中動脈):Yakovlev回路
原因:Wernicke脳症(ビタミンB1欠乏)、脳梗塞、腫瘍
■前脳基底部
コリン作動性ニューロンAch
・Meynert基底核:扁桃体、大脳皮質へ
・Broca対角帯核、中隔核:海馬へ
臨床的特徴: 前向性、逆行性(数年以上の場合あり) 、病識に乏しい、情報の錯そう、作話を認める。
原因:前交通動脈動脈瘤、同部位術後の虚血
*私は1例だけ50台男性が前交通動脈瘤コイル塞栓術後患者が意味不明な言動をしているという主訴で救急搬送された症例を経験しました。強い前向性健忘で本人に病識は全くなく、典型的な作話で、毎回話す内容がばらばらで非常に印象に残っております。
■脳梁膨大後領域
臨床的特徴:前向性健忘主体(逆行性健忘は軽度)
左の障害:健忘、右の障害:道順障害
*私は見逃しているだけかもしれませんがまだ臨床経験がありません。
■側頭葉先端部
意味記憶(semantic memory)を担う。
臨床的特徴 右側の障害:人物、風景(言葉にしにくいもの)、左側の障害:単語の意味、記号の意味などと対応している。
3:記憶障害の診察
記憶障害の患者は「記憶がおかしい」という主訴で受診しません(特に急性経過の記憶障害の場合)。多くの場合家族が異変に気が付き、本人を連れてくる場合が多いですが、「いつもと様子が違う・おかしい」という主訴で受診することが多く、「記憶がおかしい」と分析して受診することは少ないです。このため、「様子がおかしい」という漠然とした状態から「記憶障害」へと分析する必要があります。
これは前にも解説しましたが、まず「覚醒(arousal)」の問題なのか?「認知(content)」の問題なのか?を把握する必要があります。
そして、「認知(content)」の問題だとすると、認知のうち言語、視空間認知、記憶などのどの高次機能の問題なのか?を把握する必要があります。
高次脳機能を網羅的に検査するのはとても大変で、一番簡便に調べる方法としてはMMSE, 長谷川式をとることです(救急外来の忙しい現場ではなかなか大変ではありますが・・・)。
MMSEで記憶に該当するところは
・「桜・猫・電車」の記銘(即時記憶)
・そして100-7を繰り返して注意をそらせた後の「桜・猫・電車」の遅延再生(近時記憶)
になります。
最初の「桜・猫・電車」の記銘の段階は即時記憶で厳密には記憶ではなく、注意障害がないかどうかをみる検査です。 前向性健忘を確認するにはその後の遅延再生が重要です。
記憶障害を調べる前提条件として「覚醒障害ない」ことと「注意障害がない」ことが挙げられます。このため最初の「桜・猫・電車」の記銘が出来ない時点で記憶障害があるかどうかは評価困難となるため注意が必要です。
記憶障害の患者でMMSEをとると「見当識」と「記憶」に該当する質問のみ間違え、それ以外の言語、視空間認知などは全て正解するという得点分布になります。このように記憶以外の高次機能が障害されていないことを確認してはじめて記憶が選択的に障害されているという評価になります。
まとめると
1:覚醒障害、注意障害がないことを確認
2:記憶障害以外の高次脳機能障害がないかどうか確認(簡便にはMMSE)
3:前向性健忘の問題か、逆行性健忘の問題か確認
という流れになります。
4:より詳細な評価方法
WMS-R(Wechsler Memory Scale Revised):記憶障害のバッテリーとして最も世界的に標準的な方法です
以上記憶障害に関してまとめました。今後記憶障害をきたす疾患に関しても解説していく予定です。