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医学知識の賞味期限

膨大な医学の知見が世界中で日々更新されています。そのなかで医学知識には「一度身につけるとずっと役に立つ知識」と、「どんどん更新されていき賞味期限がきてしまう知識」の2種類あると日々臨床で感じます。この「医学知識の賞味期限」という点に関して、特に医学生や初期研修医の先生方の学習・教育の観点から記事を書かせていただきます(内科よりの話になってしまい恐縮です)。

経年劣化しない知識と賞味期限がくる知識の違いは何か?

「病歴のとり方」、「身体所見のとり方」、「グラム染色の方法」、「血液ガスの読み方」、「輸液」、「胸部レントゲンの読影」、「尿検査の解釈」、「症候学」などは経年劣化せず、ずっと役に立つ賞味期限が来ない医学知識に該当すると思います。

尿検査の解釈に変革が起こることはまず無いですし、グラム染色のやり方も何十年も変わりはありません。神経診察の方法もより良い診察方が生まれることはあるかもしれませんが、前の診察方法の有用性が薄まることはまずありません。

一方で例えば白血病の化学療法、関節リウマチの治療薬、視神経脊髄炎の治療法などは年々新しい治療方法が生まれ、新陳代謝のスピードが早い知識になります。数年前までスタンダードであった治療法が数年後にすっかり変わってしまうことは珍しくありません(もちろん前の知識が全て無駄になってしまう訳ではなく前の知識をもとに塗り替えられていきます訳ですが)。

これらの知識のうちどちらの方がより重要という線引きは無く、どちらの知識も臨床においては極めて重要です。しかし、「初期研修で自ら学習する場合」や「医学生や初期研修の先生に知識を教える」にあたっては両者をちきんと区別した方が良いと私は考えています

例えば初期研修医の時はこの先どの科にいっても経年劣化せずにずっと役立つ知識の学習に力を注ぐべきと私は思います。輸液、血液ガスなどは何年経ってもそのまま中身や解釈の仕方が大きく変わることはなく、ずっと臨床で役立つ知識になります。しかしその一方で例えば頑張って化学療法のレジメンをほぼ覚えても自分がその領域を専門としない限りはその知識が生きる場面は限られます。

もちろん勉強自体は全く無駄ではなく実際の臨床に役立つことなので素晴らしいことなのですが、「私達が学ぶことが出来る時間は有限である」ということもきちんと意識した方が良いです。特に初期研修の2年間は非常に短いので、全てを学び切るのは不可能で、ある程度の学ぶ事に優先順位を付けるべきと思います。こうした限界がある中で学ぶ内容に優先順位を付ける際に、この「知識の賞味期限」を考慮するのが良いのではないか?と思います。

これらの知識が弱いとその先ずっとその分野に関しての漠然として自信のなさや不安がつきまといます。心電図が読めないまま例えば循環器以外の専門研修に進むと一から心電図を勉強する時間は普通十分にとれません。するとよほど一念発起しない限りその先の医師人生でずっと「心電図が苦手だな・・・」という漠然とした不安を抱えながら臨床をすることになってしまいます。

何が問題なのか?

私たちが学生時代に勉強する内容のほとんどは「科」割りで「疾患ベース」の学習(例えば「神経内科」の「ギラン・バレー症候群」に関する授業)で、これはもちろんとても重要なのですが、こと治療などになると多くは新しい賞味期限付きの医学知識になります。その一方で学生時代「輸液」や「酸塩基平衡の解釈」、「尿検査の解釈」といった今後ずっと役に立つ経年劣化することがない医学知識の教育は比重が極めて軽いです。研修医になると多くの人がまず最初に「輸液」、「尿検査の解釈」などの知識の手薄さを痛感します。これは医学生から研修医になって最も知識のギャップを感じる点で、急な環境の変化と相まってかなりストレスになります。この現象はおそらく何十年も続いており、今の医学教育の大きな問題点と私は思っています。

誤解を招かいないように繰り返しますが、疾患の勉強が重要でない訳ではありません。ただ「輸液」、「酸塩基平衡の解釈」、「胸部レントゲンの読影」、「抗菌薬の使い方」といった土台となるずっと使える知識の教育量があまりにも少ないということです。

どうすれば良いか?

まず教える立場にたって考えます。各科で経年劣化することがない知識は沢山あると思います。例えば神経内科であれば病歴聴取や神経学的所見のとり方、呼吸器内科であれば聴診技術などの身体所見や胸部レントゲンの読影、消化器内科であれば腹部診察や腹痛、吐血・下血へのアプローチ、循環器内科であれば心電図、心音、胸痛や頻脈の初期対応などが挙げられます。学生実習、そして研修は本来これらに重点を置いて教育するべきと思います。

確かに目の前の患者さんの問題を解決しないといけないので、どうしてもカンファレンスなどで議論の中心は治療に関する最新の知見に集約されがちです。その場合は別途レクチャーやクルズスの時間を設ける、ベッドサイドの回診で確認するなどの教育が有用かと思います。

学生さんや研修医の先生の学ぶ立場にたって考えると、個人的には正直こまかい・最新の治療の話はそこまで追いかけて勉強する必要はないと思います。患者さんのことを考えると最新の治療の中身を学ぶことも極めて重要なのですが、どうしても全てを学習しきることは物理的に困難なので、まずは経年劣化することがない基本知識を身に付けたいです。「肺癌の化学療法のレジメンは分かるけれど、胸部レントゲンが充分に読影できない」のは「掛け算があいまいなのに因水分解を勉強している」ようなものでどうしても偏りがあります。

臨床の現場はこれらの知識が混然一体としているので、時間が限られる中で「ある程度学ぶ内容を取捨選択をすることもやむを得ない」と私は思います。これに関しては患者さんのことなら全て治療の細かい点まで学ぶべきという意見もあるかもしれないですが、私は「それは後期研修以降の専門研修で学ぶので問題ない」と思っています(もちろん「肺炎の治療」「DKAの治療」などの基本的な治療法は修得する必要がありますが)。

救急外来・当直の良い点

これらの基本的な技術を学ぶ場として最も有用なのはやはり「救急外来」だと私は思います。ほとんどの病院で夜間の救急外来当直では基本的な検査(「心電図」・「血液ガス」・「尿検査」・「エコー」など)しか活用することは出来ません。それに患者さんが多いなかでは「どの患者さんに検査をするべきか?」を病歴・身体所見などから判断する必要があります。治療も最先端の治療ではなく、肺炎に対する抗菌薬や喘息での吸入薬などおのずと基本的なものに限られます。このような制約があったほうが逆に手持ちの武器をみがくことが出来るのでよい研修になると個人的には思います。

最先端の治療は専門家から注目されますし、カッコよく、それに比べて「心電図」や「胸部レントゲン」は地味な存在かもしれません。しかし、「心電図」や「胸部レントゲン」といった基本的な技術を身に付けることの重要性は特に初期研修で重要です。

繰り返しになりますが私は最新の知識をup dateすることが重要でないと言っている訳ではありません。「時間の制約」がある中で「どこに重きをおいて学習していくか?」を学ぶ側も教える側も意識するべきと考えます。是非ご意見などありましたら教えていただけますと幸いです。