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臨床能力が高いとは?

私は今まで臨床能力が高い医師に沢山出会ってきました。その人達を子細に観察していて感じた点にはいくつか共通するところがあるなと思いまとめてみました。共通して感じた事は「これらの臨床能力はただ医学知識を積み重ねていけば臨床が上達する訳ではない」ということです。私は全く実践できていないのですが・・・、これらの点をできるだけ意識しながら診療しようとしています。

常にプランBを持っているか?

現在のプランAが破綻した場合の次のプランBを「事前に」考えられているか?はとても重要です。プランAが破綻した直後に「えーっとどうしようか・・・」とまごついていると後手に回ってしまいます。常に先手を取り続けるために治療が上手くいっている際にも「もしこれで途中からダメになった場合どうするか?」を考えることが必要です。

例えば当初はなにがしかの細菌性肺炎と思って抗菌薬治療をしていて3日くらい経過しても全く改善しない場合に、「あれー全然良くならないやー・・うーんなんでかなー」というのは典型的なだめな例です。そもそも抗菌薬を始める段階で「〇〇日経過して改善しなかったら、△△の可能性があるから××の検査を加えよう」などのプランを事前に準備しておかないと柔軟な対応ができず、後手に回って診療上不備が生じます。

我々は鑑別診断を複数挙げて比較検証する作業は比較的よく教わり慣れていますが、このプランAが破綻した際に事前に備える方法はきちんと言語化されて教わる機会が少ないと思います。なのでこの点は私自身が後輩を指導する際にもかなり意識的に話しているつもりです。

これは検査値についても同じことが言えます。例えば入院中の患者さんで肝逸脱酵素(AST, ALT)が徐々に上昇してきており薬剤性が疑われいる状況を考えてみましょう。この場合「より明日とりあえず採血でフォローしよう」というのはだめです。明日フォローするのは良いとして「じゃあ値がいくつを超えているようなら介入するのか?介入するとすればどの薬剤被疑薬として中止するのか?」を採血をフォローすると決めたときに考え事前に決定する必要があります。

重要な点を強調させていただきますがカンファレンスで議論するのはこのplanningですただ明日フォローするというのは報告であり議論ではありません。「どういう結果であればどのような介入をするのか?またはしないのか?」を決めることがカンファレンスで議論することです。ここを議論せずに「うんとりあえずフォローしよう」「うんとりあえずコンサルトしよう」といった内容をカンファレンスで話し合っても何も生産性はありませんし次にこの経験を活かすことはできません。ここを考えることで初めて臨床的に経過を予想する能力が身に付きます。

この「結果がどうであったら、どうアクションを変えるのか?」という点は初学者は自覚的に気が付けない場合があるので指導者がその都度ツッコミを入れながら指導していくしかないかと思います。逆に卒後学年があがってくるとこれらを自発的に設定できるようになる必要があります。いうのは簡単で実際にはなかなか険しい道なのですが避けるべきではありません。

臨床的に合わない点を探す姿勢

通常診断のプロセスとしてまずはある疾患に合致する所見をかき集めていき鑑別を絞ります。発熱、咳嗽、呼吸困難を認める場合まず肺炎を考えるというのと同じです。ただここでもしも下痢を伴うという症状が随伴していた場合どうでしょうか?例えば肺炎球菌性肺炎で普通下痢を伴うことはあまりないかもしれません。「ちょっと普通の肺炎としては辺かな?」と違和感を持つことが対立鑑別を考える上で重要になります(レジオネラ感染症かな?など)。

ここで注意が必要なのは文献では〇〇%で△△が出るって書いてあるしこれでもいいんじゃない?という発想です。例えば(実際の論文ではないですが)「通常肺炎に5%下痢を伴う」という文献を目にした場合、初手からいきなり「なーんだ肺炎も下痢5%伴うのであれば今回もそれで説明できるよね」と考えるのは良くないです。まずは普通ではない可能性が高いのだから他の可能性を考えようから始め、その他の可能性が否定されてはじめて「あーそういうことも稀にあるんだね」と解釈することになります。こうして疾患概念の幅を適切に広げていくことになります。

なんでもなんでも「まっそういうこともあるでしょ」と捉えていると正しい疾患概念の幅が捉えられないまま時間が過ぎてしまいます。

この合わない点を探すという作業は苦しい作業なので自然にできるものではなく意識的・能動的に行う必要があります。私たちは楽をしたいので「うん、まあこれで大丈夫だろう」と考えたくなりますが、「いやっそれっておかしいんじゃない?」と考えるのはストレスなので無意識に避けてしまう傾向にあります。このため繰り返しですがうまくいっているときほど、「ここってもしかして変なんじゃない?」「今まで診てきた肺炎と違うなー・・・」という違和感をきちんと言語化してひっかける・調べることが重要です。この点は私もできておらず今までの個人的な自省も込めて感じるところです。

疾患の経過がnatural courseから逸脱していないか?という視点に敏感である

疾患の経過は最も教科書で学ぶことが出来ない内容です。ここは実際に診療経験を積み重ねていくしかありません。先の合わない点を探すことと似ていますが「えっこの経過はこの病態としてはおかしいのでは?」という視点を持てるかどうかは普段どれだけ日常臨床で丁寧に経過を観察しているか?にかかっており個々人の臨床能力を鋭敏に反映していると思います。疾患の経過から逸脱しているなという点から診断に再考につながることがあります。

この点は私は旭中央病院で勤務していたときの師匠からかなり強く感じ取りました。私がさらっと流している点を「ふつうこうはならなくない?」と引き戻してくれることで考え直す機会を与えてくれました。これは臨床経験がなせる技だと思います。

方針転換を躊躇なく判断できる

ここはやや感情的な面が入ってきます。「一度こうって決めたしなんとなく示しがつかないなー」、「やばいこれは違うかなーでもまあまあもう少し様子をみよっかー」と感情的にプラン変更を躊躇してしまうことがしばしばあります(私自身はこれによる失敗が恥ずかしながら多数あります)。ここを冷静に確かに間違っていた、そしたら方針を変えようと切り替えられるのは臨床家としての強みだと思います。

治療効果判定の設定が適切である

肺炎の経過で入院翌日の胸部レントゲン像が悪化していることは必ずしも疾患の病勢を反映しないという点は有名と思います。このように画像所見は実際の病態と比してタイムラグを伴う場合が多々あります。特に炎症性の病態はそういったことがしばしばあります。

他には血液検査ではCreより先に尿量が変化します。尿量が減っているにも関わらずCre値が変化していないから急性腎障害ではないと判断するのは間違いです。このように間違ったパラメータを設定したり、パラメーターの時間軸を把握できていないと適切な治療効果判定が出来ません。治療効果判定に適切なパラメーターや各パラメーターの時間軸を意識しながら診療に当たることが重要です。