みなさんは普段から持ち歩いている好きな本はありますか?私は村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」と、岡本太郎の「自分の中に毒を持て」のどちらかの文庫本を仕事用のバッグにいれていることが多いです。出張の移動時間やふと時間が生まれたときにこれらの文庫本をバッグからさっと取り出して、ぱらぱらと数ページ眺めることがあります。普段バッグに雑につっこんでいるのでぼろぼろになってしまい、どちらの本も何度も買いなおしています。
岡本太郎のことを一番最初に知ったきっかけは巨大な壁画「明日の神話」です。
私は高校生のとき通学で渋谷駅を東横線から井の頭線に乗り換えていました。その乗り換え通路の途中にある日突然「明日の神話」という巨大な作品が掲示され、当時はかなり話題になりました。私は毎日こんなおどろおどろしい作品を眺めないといけないのはしんどいなーと感じており、正直岡本太郎に対してよい印象を抱いていませんでした。色使いは原色が主体だし、黒と赤が攻撃的だし、なんだかよくわからないぎょろっとした目がこちらを見つめている気がして不気味だし、心が乱され嫌な感じがしていました。私は当時学生というお気楽な身分だったので別によかったのですが、仕事をされている方が毎朝の通勤でこれを見るのは結構しんどい気がします・・・・。
「明日の神話」渋谷駅 画像は岡本太郎記念館のホームページより

そんなこんなで岡本太郎の作品にさして興味をもたないまま時が過ぎました。岡本太郎にまた触れることになったきっかけは、よくいく東京駅OAZOの丸善でたまたま真っ赤な表紙に黒くて太い文字がバチっと書かれた文庫本が平積みになっているのを目にしたことです。その本がまさにこの「自分の中に毒を持て」でした。とりあえず購入して電車の中で読み始めたのですが、その熱く力強い文章に頭を金槌で打たれたような衝撃を受けました。

岡本太郎の出自やフランスにいたときの話、戦争の話など自伝的な要素を軸として、どうすれば人生と真剣に向き合うことができるかという生き方についてのメッセージがあちこちに散りばめられた構成です。
本書を通じて「岡本太郎ってこういう人だったんだ・・・知らなかったな」と彼に興味がでました。おしゃれな表参道の道を歩いていると、大通りから少し外れたところに岡本太郎記念館があります。今年の春にここを訪れました。
写真は岡本太郎記念館のホームページから

やっぱり展示されている岡本太郎の作品は高校生のときに眺めた「明日への神話」と同じで、原色主体でおどろおどろしい。ただ彼の本を読んだ後に作品を見るとまた見え方が違っていました。なんというか「作品を通じて魂を燃やしている」印象を受けました。あふれでる情熱が炎の形状をとって作品を形どり、その中心に我々に対して鋭い眼差しを向けるあの大きな眼が鎮座しているように感じました。
本来は美術作品に対して先入観が生じないように、「作者」ではなく「美術作品」が先にあるべきなのかもしれないですが、こうした「美術作品」→「作者を知る」→再度「美術作品」という流れの中でものの見え方が変化する体験も楽しいものです。
色々な視座から物事を眺めることができることは人生を豊かにしてくれると思います。私はそうした新しい視座や世界の切り取り方に出会いたいから、文章や音楽、美術作品に触れたいのだと思います。
以下に本文中に印象に残った文章をいくつか掲載します。
つまり自分自身の最大の敵は他人ではなく自分自身というわけだ。自分をとりまく状況に甘えて自分をごまかしてしまう、そういう誘惑はしょっちゅうある。だから自分をつっぱなして自分と闘えば、逆にほんとうの意味での生き方ができる。
誰だって、つい周囲の状況に甘えて生きていく方が楽だから、きびしさを避けて楽な方の生き方をしようとする。
ほんとうの人生を歩むかどうかの境目はこのときなのだ。
安易な生き方をしたいときは、そんな自分を敵だと思って闘うんだ。
たとえ結果が思うようにいかなくたっていい。結果が悪くても、自分は筋を貫いたんだと思えば、これほど爽やかなことはない。
人生というのはそういうきびしさをもって生きるからこそ面白いんだ。
こんなふうに言うと、大げさに思われるかもしれないが、人間本来、自分では気づかずに、毎日ささやかではあってもこの分かれ道のポイントに立たされているはずなんだ。
何でもない一日のうちに、あれかこれかの決定的瞬間は絶え間なく待ちかまえている。朝、目をさましてから、夜寝るまで。瞬間瞬間に。
それに、人間にとって成功とはいったい何だろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか。
夢がたとえ成就しなかったとしても、精いっぱい挑戦した、それで爽やかだ。
ぼくはいつでも、あれかこれかという場合、これは自分にとってマイナスだな、危険だなと思う方を選ぶことにしている。誰だって人間は弱いし、自分が大事だから、逃げたがる。頭で考えて、いい方を選ぼうなんて思ってたら、何とかかんとか理屈をつけて安全な方に行ってしまうものなのだ。
ほんとうに生きるということは、自分で自分を崖から突き落とし、自分自身と闘って、運命をきりひらいていくことなんだ。
人生を真に貫こうとすれば、必ず、条件に挑まなければならない。いのちを賭けて運命と対決するのだ。そのとき、切実にぶつかるのは己自信だ。己が最大の味方であり、また敵なのである。
何か、これと思ったら、まず、他人の目を気にしないことだ。また、他人の目ばかりではなく、自分の目を気にしないで、萎縮せずありのままに生きていけばいい。
人間がいちばん辛い思いをしているのは、”現在”なんだ。やらなければならない、ベストをつくさなければならないのは、現在のこの瞬間にある。それを逃れるために”いずれ”とか”懐古趣味”になるんだ。
懐古趣味というのは現実逃避だ。だから、過去だってそのときは辛くって逃避してたんだろうけど、現在が終わって過去になってしまうと安心だから、懐かしくなるんだ。
だから、そんなものにこだわっていないで、もっと現実を直視し、絶対感をもって問題にぶつかって、たくましく生きるようにしていかなければいけない。
そもそも自分を他と比べるから、自信などというものが問題になってくるのだ。わが人生、他と比較して自分をきめるなどというような卑しいことはやらない。ただ自分の信じていること、正しいと思うことに、わき目もふらず突き進むだけだ。
自信に満ちて見えると言われるけど、ぼく自信は自分を終始、落ちこませているんだ。徹底的に自分を追いつめ、自信を持たないなどという卑しい考えを持たないように、突き放す。
つまり、ぼくがわざと自分を落ちこませている姿が、他人に自信を満ちているように見えるのかもしれない。
自分を殺す、それから自分が強烈に生きるわけだ。
それがほんとうに生きることなんだ。自信なんていうのは相対的価値観だ。誰々よりも自分は上だ、というものでしかない。そうじゃなくて、人間は生死を超えた絶対感によって生きなければ駄目だ。
逆だ。何かをやろうと決意するから意志もエネルギーもふき出してくる。
何も行動しないでいては意志なんてものありゃしない。
自信はない、でもとにかくやってみようと決意する。その一瞬一瞬に賭けて、ひたすらやってみる。それだけでいいんだ。また、それしかないんだ。
意志を強くする方法なんてありはしない。そんな余計なことを考えるより、ほんとうに今やりたいことに、全身全霊をぶつけて集中することだ。
ひたすらそれを貫いてみる。はたからみれば、あの人は何という意志の強い人なんだろうということになるんだ。
あっちを見たりこっちを見たりして、まわりに気をつかいながら、カッコよくイージーに生きようとすると、人生を貫く芯がなくなる。そうじゃなく、これをやったら駄目になるんじゃないかということ、まったく自信がなくってもいい、なければなおのこと、死にもの狂いでとにかくぶつかっていけば、情熱や意志がわき起こってくる。
繰り返して言う。うまくいくとか、いかないとか、そんなことはどうでもいいんだ。結果とは関係ない。めげるような人は、自分の運命を真剣に賭けなかったからだ。
自分の運命を賭ければ、必ず意志がわいてくる。もし、意志がわいてこなければ運命に対する真剣味が足りない証拠だ。
他人に対して自分がどうであるか、つまり、他人は自分のことをどう見ているかなんてことを気にしていたら、絶対的な自分というものはなくなってしまう。プライドがあれば、他人の前で自分をよく見せようという必要はないのに、他人の前に出ると、自分をよく見せようと思ってしまうのは、その人間にコンプレックスがあるからだ。
大切なのは、他に対してプライドを持つことではなく、自分自信に対してプライドを持つことなんだ。
他に対して、プライドを見せるということは、他人に基準を置いて自分を考えていることだ。そんなものは本物のプライドじゃない。たとえ、他人にバカにされようが、けなされようが、笑われようが、自分がほんとうに生きている手ごたえを持つことが、プライドなんだ。
人間は、必ずしも成功することがよろこびであり大事なのではない。闘って、後にくずれる。その絶望と憤りの中に、強烈な人生が彩られることもある。
かなりマッチョな考え方で鋭く厳しい語り口ですが、不思議と生きる力がわいてくる文章です。へんな自己啓発本を100冊読むよりもこの本を1冊読むほうがはるかに人間の根源的な生きる力をもらえると思います。
こうした岡本太郎のマッチョな考え方は今の時代にあまりあっていないかもしれません。しかし、オシャレに外見を着飾って、負け戦と貧乏くじは必死に避け続け、あたかもスマートに生きる「ファッショナブル」な姿が流行りとなっている現代へ真っ向から戦う素敵な哲学です。私(管理人)も本日35歳になってしまいましたが、岡本太郎の力強い言葉を嚙みしめ、若々しく魂を燃やしながら生きていきたいと思います。

