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病歴と日常生活

0:病歴は何を教えてくれるのか?

神経変性疾患は血管障害や感染症、自己免疫疾患などと異なりその多くが「緩徐発症」(insidious onset)の疾患です。ここで重要なのは「いつから障害があったのか?」と「どう障害部位が進展してきたのか?」を病歴でつかむことです。突然発症の疾患はその発症起点の把握が容易ですが、緩徐発症の場合は「いつまで大丈夫で、いつから病気が始まっていたのか?」を把握するのが難しくなります。これを把握するためには病歴が何よりも重要になります。

10年前からの発症でALSを代表とする運動ニューロン疾患は積極的には考えにくいですし、1年の経過で急激に失調が増悪してくると脊髄小脳変性症は積極的には考えにくいというように「いつから障害があったのか?」(つまり発症起点はいつか?)という時間経過が鑑別において極めて重要です。

また例えば最初は清掃の仕事の窓ふきで右腕がつかれるようになり、その後右手でペットボトルの蓋を開けられなくなったという病歴からは「右上肢近位筋→遠位筋の障害」という経過が分かり疾患の鑑別に役立ちます。このように病歴から「どう障害部位が進展してきたのか?」を知ることも出来ます。眼の前の患者さんを診察するだけでは右上肢の近位筋も遠位筋もどちらも瘦せてしまっており、ぱっと診察しただけではどのような時系列で障害されたかは分かりませんが、病歴が障害のhistoryを教えてくれます。

しかし「腕に力が入りにくくなったのはいつからですか?」と質問するだけでは患者さんはうまく答えることが出来ません。これは答えられない患者さんが悪いのではなく、医療者の質問が悪いです。患者さんはただ漠然と質問されてもイメージが出来ないので、「日常生活の一動作・場面」といった具体的にイメージしやすい状況を質問することが重要です。この具体的な病歴を取れるかどうか?が病歴の取り方の上手い・下手を明確に分けます。

実際には病歴のトレーニングは日々問診を繰り返して学んでいくしなかいところが大きいですが、ここでは各機能障害と対応する病歴をいくつか紹介します。とくに研修医の先生は上級医の先生に「問診が足りない」と怒られてしまうけれど「そもそも何を聞けばよいか分からない」というケースも多いと思います。ここで紹介する内容が少しヒントになれば幸いです。

1:患者さんにとって「負荷の高い行為」を病歴から拾う

「緩徐発症の病気の始まり(onset)をいかに病歴から拾うか?」がここでのテーマですが、発症時にはまだ障害は軽度なので、患者さんはこの発症起点を意識出来ていないことが多いです。そこで負荷が高い動作を病歴から拾い上げることが重要です。具体的には患者さんのスポーツ運動習慣、趣味、仕事などをまず病歴で確認します。

例えば毎週テニスを趣味でしている患者さんであれば、日常生活では気づかないような軽度の上肢近位筋筋力低下を「サーブが打ちづらくなった」という病歴から拾うことが出来るかもしれません。趣味で手芸をされている方は「細かい網目を編むことが出来なくなった」という病歴から上肢遠位筋筋力低下をとらえることが出来るかもしれません。犬の散歩が日課の方は前は30分出来ていたのが15分しかできなくなったという病歴から下肢筋力低下をとらえられるかもしれません。クラシックコンサートによく行く方は「演奏後の拍手が下手になり音が綺麗にならなくなった」という病歴から小脳性失調の始まりをとらえられるかもしれません。各運動の障害において特に負荷が高い行為はスポーツ運動習慣、趣味、仕事からヒントを得られる場合が多いので、これらを必ず問診します。

2:日常生活での病歴

誰もが上記の様な運動習慣や趣味を持っているとは限りません。そこで風呂に入る、歯を磨くといった日常生活動作から対応する機能障害を拾うことが重要になってきます。以下では機能障害と対応する日常生活動作の病歴をまとめます。

下肢近位筋の筋力低下をとらえる病歴

特に筋疾患では大腿四頭筋をはじめとした下肢近位筋力の低下から発症する場合が多いです。日常生活では「階段を上るのがしんどい」・「風呂の湯舟をまたぐのが出来ない」・「椅子に一度座ると立ち上がるのが大変になった」・「便座に座ってから立ち上がるのが大変になった」・「バスのステップが高いと乗るのが大変になった」などが下肢近位筋筋力低下を示唆する病歴になります。

下肢遠位筋の筋力低下をとらえる病歴

日常生活では「スリッパがぬげやすくなった」・「小さな段差につまずくようになった」などが下肢遠位筋筋力低下を示唆する病歴になります。

上肢近位筋の筋力低下をとらえる病歴

日常生活では「ふとんを干すのが大変」・「ふとんをタンスにしまうのが大変」・「髪を洗うと腕がつかれる」・「掃除機をかけると腕がつかれる」・「高い棚からものを取り出すことが出来なくなった」・「ポットを持ち上げるのが大変」・「鍋を移動させる・洗うことが大変になった」などが上肢近位筋力低下を示唆する病歴になります。

上肢遠位筋の筋力低下をとらえる病歴

日常生活では「ボタンをはめるのが難しくなった」・「ペットボトルの蓋を開けられなくなった」・「字が汚くなった」・「食事で箸をうまく使えなくなった」・「リモコンのボタンを押しづらくなった」・「電源などのボタンをうまく押せなくなった」・「小銭を財布から取り出すのが難しくなった」・「蛇口を占める」・「物を落としてしまうことが増えた」などが上肢遠位筋の障害を示唆する病歴になります。手を使う動作は沢山あるので、病歴としては比較的拾いやすいです。

*頸椎症性筋萎縮症(近位型C5障害)の患者さんで「ボタンをはめるのが難しい」という病歴があり、「あれっ近位の障害のはずなのに、遠位の病歴だな・・・」と思っていたら、実は第1ボタンのような上のボタンを肘を曲げるのが大変で止めにくいという病歴であることが分かりました。この患者さんは「箸が使いづらい」という病歴もあり、これも「あれっ遠位なのかな?・・・」と思ったら、実は「箸で食べ物をつまむことは問題ないけれど、口まで持っていくことが大変」であり、それを「箸が使いづらい」と表現していたことが判明しました。具体的にどのような動作が大変か?をきちんと問診しないと間違えてしまうため注意が必要ですね。

小脳性失調をとらえる病歴

日常生活では「靴下を立ったまま履くことが出来なくなった」・「歯磨きがうまくできない」・「字が汚くなった(年賀状・日記などがいつからかをとらえる際に参考になる)」・「おぼんで料理を運ぶ際にこぼしてしまう」・「箸を使うとこぼしてしまい、うまく食べられなくなった」・「水をそそぐ際にこぼしてしまう」・「パソコンやスマートフォンでタイプミスが多くなった」・「電話でしゃべり方がおかしいといわれる」・「階段で下りが踏み外してしまわないか不安」・「拍手がうまくできなくなった」などが特徴的な病歴になります。

深部感覚性失調をとらえる病歴

小脳性失調と異なり「閉眼負荷で失調が増悪する」という点をいかに病歴でとらえられるか?が重要です。日常生活では「顔を洗う際に眼をつぶるとふらふらする(洗面現象)」・「風呂で眼をつぶっていると石けんの定位置が分からない」・「夜中トイレに起きて暗い廊下を歩くとふらふらする」・「下を見て歩くようになった」などが病歴になります。

以上病歴と日常生活に関してまとめました。病歴の上手い人はその日との生活様式をうまく言語化して、そこから対応する機能障害を拾い上げています。ただ漫然と病歴をとるのではなく、上記のような生活動作と対応する機能障害の病歴ストックを駆使して良い病歴につなげていきたいです。